東北農業経済学会主催のシンポジウム「東北地域における集落営農の可能性と課題」を聞きにいった。
報告者の多くが、国が進める農政に疑問を呈していた。悪いとわかっていても進まざるを得ないというのだから、「苛政は虎よりも猛し」だ。
「苛政は虎よりも猛し」のいわれは・・・・
車はゆっくりと進んでいる。車上には孔子が静かにすわっていた。
孔子を中心に幾人かの弟子の顔も見える。
あまり人の通らない道のようだ。泰山(山東省泰安県の北)がひときわ
高く聳え、あたりはしんかんとしていた。
一行はふと、婦人の泣き声が静寂を破って伝わって来るのを聞いた。その声は前方のお墓のある所から聞こえるらしい。孔子もはっとわれに返ったかのように、身を起して耳を傾けた。車は心持ち早くなった。
確かに婦人は道のかたわらにある、三つの粗末なお墓を前にして泣いていた。その声は悲痛な叫びにも似て、切々と人の胸を打つものがあった。慈悲深い孔子はそのまま過ぎ去ることができず、車前の横木に身を寄せて婦人に敬意を表してから、弟子の子路をやってこう尋ねさせた。
「どうしてそんなにお泣きになるのです? 何度も悲しいことがあったようですね。」婦人は驚いて顔を上げたが、そのやさしい言葉に幾らか救われたらしかった。
「そうです。この辺は本当に恐ろしい所なんですわ。昔私の舅に当る人は虎に食われて死にましたが、続いて私の夫が殺され、今度は私の子供がたべられてしまいました。」
「そんな恐ろしい所をどうして離れないのですか?」 「いいえ、この土地に住んでさえいますなら、酷たらしく租税を取り立てられるような心配がございませんの。」
孔子はこの言葉を聞いてすっかり感じ入り、お供の門人達に言った。よく覚えておきなさい、『苛政は虎よりも猛し』ということを。」
この話は『礼記』の「檀弓篇」に出ているが、孔子の生きた春秋末期の世相の一面を語っていよう。この時代はいわゆる下克上の時代で、孔子の生まれた魯の国でも大夫の季孫氏が人民の犠牲の上に勝手なことをしていた。孔子は「季氏(季孫氏)は周公より富めり」(『論語』先進篇)
と言い、季氏の振舞を「是をしも忍ぶべくんば、孰れか忍ぶべからざらん。」(『論語』八イツ)と憤ったのである。これが孔子をして「苛政は虎よりも猛し」と言わせたのであり、苛酷な政治の及ぼす害悪を、猛獣と比較して端的に述べている。
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