11月3日、全国農民連が川俣町山木屋から浪江町津島、請戸をバスで視察した。
いまだに、住民が我が家に戻れない地域だ。
山木屋地区は、水田の大規模な「除染」作業が行われている一方、
3年間作付されない水田は、柳が群生していた。
線量計は、刻々とその値を上げる。
福島市内―0.3μs/h。山木屋地区―5.5μs/hへ。津島―8.4μs/h、
そして、赤于木地区に入ると10μs/hを超えた。
人の立ち入りが制限されている集落の家々には、
草が軒まで迫り、人間を寄せ付けない不気味さがある。
人間の営みを、一瞬にして途絶し、
いつ戻れるか全く見通しも立て得ないー放射能汚染の酷さを目の当たりにする。
事故から2年9ヶ月。私たちは、いつのまにかあの事故当時の
「怒り」「憤り」を削がれてきている。
「侮蔑」を晴らすためには、原発事故の責任を曖昧にさせないことである。
ふるさとを捨てざるを得ない人々との連帯をさらに強めて、闘いぬかねばならない。