郡山の平くんから中日新聞の記事が送られてきた。
新聞の論説で「主張」をむき出しにせず
抑えた文章だけに響く。
半数が決めていないというが
その判断材料を持てないままならば
中日新聞の論説部長が危惧する方向に
行ってしまうだろう。
他人から支持をお願いされる「国民」ではなく
わからないことは聞く
候補者を「糾す」国民になりましょう。
「こんなに怖い選挙はない」2012.12.5 中日新聞
気になることがある。衆院選を前に過日、
小紙が行った世論調査の結果だ。
例えば、優勢が伝えられる自民党についてみてみよう。
比例で自民党に入れるとした人の三割弱が、「憲法九条」の改訂には反対だと答え、
実に半数近くが、将来的な「原発ゼロ」を求めているのである。
言うまでもないが、自民党は九条を変える、と宣言している。
そして、原発は維持していく立場だ。
無論、この二つの課題に対する回答者の賛否と投票先の主張が
ずれている例はほかの党でもみられる。
こうした“矛盾”、考えられる理由は二つだ。
一つは、九条や原発以外にその党を選ぶ決め手の公約があるという可能性。
そして、もうひとつは、その党の主張をよく咀嚼(そしゃく)せず、
「何となく」投票先に決めているというパターンだ。
前者ならまだしも、後者はあまりに危険である。
二度と戦争をしてはいけない、というのは無論、
戦争に少しでも近づくことがないようにせよ、というのが、
先の大戦で途方もない犠牲を払って、日本が得た教訓だ。
戦後の日本はその教訓の上に築かれている。
その礎である九条を変えるというのは、とてつもなく重大な判断である。
さらに、あの原発事故は夥(おびただ)しい数の人から故郷を奪い、
大事な国土の一部を放射能で汚して、事実上、二度と人の住めない土地にした。
<あとで閉められない扉は開けてはならない>。
そんなペルシャの諺(ことわざ)をあらためて苦々しく想起する。
大震災後初の衆院選が始まった。ここで問われるものとは、
だから、私たちが失敗や悲劇から学べる国民なのかどうか、である。
「何となく」は禁物だ。この国の行く末、子どもらが生きていく国のありようを決める投票-。
そう考えれば、こんなに怖い選挙はない。
(中日新聞社会部長・島田佳幸)