わが郷里でも知らない名勝地があった。
東和へ行く途中、カヌー場の看板を左に入ると
島山公園がある。そこから見えるのが「稚児舞台」。
前九年の役(1050年頃)、源義家軍と急流を挟んで対峙していた安部貞任軍。弓矢を交えての戦闘のさなか、敵前で舞いを舞った貞任の幼い2人の娘は、恥をさらしたとして岩山から身を投じた。このことから、対岸の岩棚を稚児舞台と呼ぶようになった。
諸説あるが、源義家が安部貞任に
「蝦夷地には舞を踊れるようなものはいまい。」と挑発。
安部貞任がこれに応えて、見事な踊りを娘たちに踊らせた。
恥をさらしたから身を投げたというのはどうも合点がいかない。
歴史は多くの場合時の権力者に都合よく描かれる。
東北はその当時京の文化に劣らない水準にあった。
義家は、その見事さに畏れを抱いて命を奪ったのではないか
というのが私の推論。
中央権力に収奪されることなく
アテルイから平泉につながる文化がもし続いていたら
東北はもっと豊かな地域になっていたはずだ。
いや、東北の復権はこれからだ。