この震災、原発災害の修羅場でそんなに動揺することもなく
日常を生きている自分をふと考える。
全く動揺していないわけではないが
この事態に立ち向かう「意思」に揺らぎは感じない。
ひょんなきっかけで、ある人から井上ひさしさんの「組曲虐殺」DVDをいただいた。(昨年NHKで放映されたもの)
井上ひさしさんの遺作でもある。
小林多喜二を描いたものだが
小林多喜二が井上ひさしそのものに見えてくる。
死を覚悟した井上ひさしであったから
小林多喜二を描けたと思う。
人間の生き死には日常で起きる。
笑って、泣いて、叫んで、落ち込んで、喜んで・・・・・・
私が、「組曲虐殺」を震災の前にみたことで
私のなかにほんの少し「小林多喜二」が入り込んでいたと思う。
「虐殺」という惨さはあるが
人間が人間として「生き抜く」ためには
「理不尽な事柄」も起こりうることとして
我々は「覚悟」しなければならないのだろうと思う。